現代の「
言葉が足りない」ことについて言及されている本で、内容の始めは厳しいことが書いてあり気が滅入ってしまうかもしれない。現実を見たくないのも心が疲弊するのでわかります。
ですが、その現状を受け止めて「少しずつ前を向いて、言葉を交わすことをしてみよう」と実行してみると自分や周りの人も見る世界も変わる。そう思わせてくれて、希望と勇気がもらえます。
読んだらわかりますが、岡田さんの多彩な言葉の表現の種類が凄まじい量でてきます。
世の中や人をよく見ておられる方で「私はこういう大人になりたい」と目標にしている1人です。
自分がいかに勉強不足で、世の中のことや物事も知った気になり勘違いをしながら生きてきたんだと己の愚かさを思い知らされた。この時代に厳しいことを言ってくれる人はとても貴重な存在です。こういう厳しいことを言う人を見つけると私は嬉しくなります。
以下、余談です。
私が専門学校へ通っているとき、「厳しくときに褒めてくれる先生」と「褒めるだけの優しい先生」がいました。
専門学校を卒業した後、良い先生だなと今でも心に残っているのは「厳しくときに褒めてくれる先生」だった。
褒めることは大切なことですし、ときに厳しく接してくれたり叱ってくれたりすることも愛情だと思う。これからの人生の中で恥をかいてしまわぬよう間違いを矯正してくれたり、ちゃんと人として見てくれて評価してくれているという事ですから。期待してくれていなかったら、わざわざ時間を割いてまで指摘したりしませんよ。
この現代、指摘をしたり厳しくしたり叱ったりするとパワハラ(パワーハラスメントの略)と言われるようです。そのときの場合によると思いますが、厳しい状況や困難を乗り越えて人は成長し強くなっていくのは事実です。
これはパワハラなのか?それとも技術の向上や成長を促すための指摘なのか?それを見極めるようになることが重要。
じゃあ、我々はどうすればいいのか?
コミュニケーションの取り方や伝え方を勉強するしかないです。
誰しもハラスメントをする側またはされる側になる可能性がある時代です。
無意識で接するのではなく、有意識で人と向き合うこと。少しずつでいいので、言葉を増やして丁寧に話すことが大切。勇気を振り絞って、小さな一歩を踏み出すことです。
人は同じ動きで考え動くようにプログラミングされたアンドロイドではありません。
人それぞれ好きな言葉の表現や言われて嫌なことは千差万別で、コミュニケーションの取り方も考え方も価値観もバラバラです。
つまり、今まで「人と接することは億劫だし疲れてしまうことだ」と自分に言い聞かせて人と向き合うことを避けてきた。言葉を略したり短い会話で済ませていた。そうして楽をしてきた。だから、コミュニケーション不足または言葉が足りないと言われる実態なのではと推測します。
私は勉強中の身ですから立派で偉そうなことは言えません。
だから、人と接するときに「こういう場合はこの言葉の表現がいいのではないか」、「私は今日、笑顔で人と接することができただろうか」、「あのとき、なんで気を配れなかったのだろう」と奮闘する日々です。
直ぐにコミュニケーション能力や伝える力が身につかないから悩み続ける。学び続けながら実行し続ける。途方もないけど、そういう地道で小さなことの積み重ねが大切なのではと思います。